peko-tinがゆく!

カテゴリ:超短編小説( 3 )

おまじないの言葉

運命のスタートまであと三十秒。 遂に夢の舞台に立った百合子の興奮と緊張は、ピークに達していた。
スタートラインの最前列で、百合子は静かに目を閉じるといつものおまじないの言葉を
呟き始めた。 「振り向けばもっちゃーがいる。 振り向けばもっちゃーがいる...」

あれは四年前、百合子が高校三年生の頃のこと。 百合子と同じ学年に「もっちゃー」というあだ名の男子生徒がいた。
彼は女子生徒たちの間で、悪い意味で有名な生徒だった。
それは、百合子の二歳年下で一年生の恵美子たちにも知れ渡っていることでも明白だった。
もっちゃーを有名にした理由。 それは、彼が女子生徒と目が合うと、厭らしいうすら笑いを浮かべることだった。
校内の女子生徒の殆どがもっちゃーの被害に遭っており、目が合った時の彼女たちの嫌悪感は相当なものだった。
ご多分に漏れず、入学したての頃にもっちゃーの洗礼を受けた百合子は、全身が総毛立つのを覚えた。
それ以来、校内でもっちゃーを見かけた時は、彼が自分の方を向く前に目を逸らす習慣が身についた。
それは、目を逸らす速さを競うスポーツ競技がこの世にあるならば、優勝できると自負するほどだった。

ある夏の日の下校中、百合子はアルバイトをしているクリーニング店に向かっていた。
そのクリーニング店は家から近い場所にあったのだが、この日は学校を出るのが遅くなったため、
家に帰らず直接向かうことに決めた百合子は、額に滲み出る汗を拭きながら歩いていた。
大通り沿いを歩いていると、小さな路地に差し掛かった。 百合子はそこで左に折れるか直進するか迷った。
左に折れて住宅街と公園を突っ切れば近道になるのだが、その途中にもっちゃーの家があるからだ。
近道しなければ、バイトの時間に間に合わないかもしれない。 そう思った百合子は、迷った末に左を選んだ。
まさかそれが、悪夢の始まりになるとは知らずに...。

しばらく路地を歩いていると、背後から自分と同じペースで歩く足音が聞こえてきた。
おしゃべりで明るい性格の割に小心者の百合子は、後ろが気になりながらも振り向けずにいた。
それならばと、自分を追い抜いてもらおうとゆっくり歩き出すと、
後ろの足音もまるで百合子に合わせたかのように速度を落として、一定の距離感を保ち続けた。
百合子は湧き上がる不安な気持ちと不快感を必死で抑えながら、今度は歩く速度を徐々に速くしてみた。
すると後ろの足音は、まるで磁石のようにぴったりと同じ速度でついてくるではないか。

もはや気のせいではないと確信した百合子だったが、依然として後ろを振り向く勇気はなかった。
しかし、小さな交差点でカーブミラーを見つけた時に、ハンカチで額の汗を拭うふりをしながらチラリと背後の人物を見てみた。
その瞬間、この暑さのなか百合子の体には悪寒が走った。
その理由はもちろん、カーブミラーに映ったのがあのもっちゃーだったからだ。

底知れぬ恐怖を覚えた百合子は、今まで以上に歩く速度を速めた。 するともっちゃーも百合子に負けじと速度を上げてくる。
後ろから聞こえてくる足音の大きさで、先ほどまでの距離が大分縮まったように感じた。
ここで走っては負けだ。 何故か二人の間にはそんなルールが出来上がっていた。
早歩きで逃げる百合子と、早歩きでそれを追うもっちゃー。
それはまさに、死闘と言っても過言ではない程の凄まじいデッドヒートであった。

激しい運動とも呼べるレベルの早歩きを久しぶりにしたせいで、
体育の授業ですら怠けがちな百合子の足が次第に悲鳴を上げ始めた。
生来の怠け者の百合子は、祖父から俊足を受け継いだのに中高と何の部活動もせずに過ごしたことを悔いた。
それを知ってか知らずか、百合子の背後にぴったりとつけたもっちゃーは、
更に速度を上げ一気に差を縮めてきた。
高校生の男女が、走る一歩手前のスピードで、尻を振り腰をくねらせ競うように住宅街を歩く様には、
公園で遊んでいた子供たちも何事かと不思議そうに眺めているのだった。

いよいよもっちゃーがラストスパートをしかけたようで、彼の息遣いが百合子の左肩越しに聞こえてきた。
太ももの痛みに耐えながら、必死で高速早歩きを続けていた百合子は、もうここまでかと目を閉じた。
すると、目の前に突如として後ろにいるはずのもっちゃーが、あの厭らしい薄ら笑いを浮かべて現れた。
その瞬間、体の中からマグマのような熱いエネルギーを感じた百合子の足は、自分でも信じられないくらいの速さで動き始めた。
その速さは凄まじく、あと数十センチしかなかったもっちゃーとの差は見る見るうちに開いていき、
遂にはもっちゃーの家をもあっと言う間に通過して、その先の細い道へと入りもっちゃーを振り切ることに成功したのだった。
百合子の耳には、背後から「チッ」という舌打ちが聞こえた...気がした。

クリーニング店に汗だくで到着した百合子は、つい先ほど自分の身に起こったことがまだ信じられなかった。
しかし数時間が経ち気持ちが徐々に落ち着いてくると、今まで感じたことのなかった達成感に包まれた。
その時、横にあった13インチの赤い小さなブラウン管から流れる映像を見て釘づけになった。
そして百合子は、「やりたいことをやっと見つけた...」と心の中で呟いた。

あれから四年。 当時予定していた海外留学を取りやめて体育大学に進み、
在学中にある種目の選手になった百合子はめきめきと頭角を現した。

そして今、オリンピックという大舞台に立った百合子は、
世界中から集まった各国のトップ競歩選手らと肩を並べながら、自信に満ち溢れた顔をしていた。

ふと、「今日の私があるのは、もっちゃーのおかげ?」と思った瞬間に、
あの自分を恐怖のどん底に落としたもっちゃーの厭らしい薄ら笑いが目の前に現れ、
体中から沸き起こるマグマのような熱いエネルギーを感じながら、首をぶるぶると左右に振ると、
百合子は再びおまじないの言葉を唱え続けた。
「振り向けばもっちゃーがいる、振り向けばもっちゃーがいる...」

パーン! スタートの乾いた号砲が鳴り、目を見開いた百合子は、
高三のあの暑い夏の日のように超高速スピードで尻を振り腰をくねらせながら、
ゴールに向かって歩き始めた。





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- 著者の一言 -
これは、誇張しまくった著者の実体験を基にしたフィクションである。
この競歩事件を知る著者の近しい人々が、これを読んで笑ってくれたら幸いである...。





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by peko_tin | 2016-05-13 06:00 | 超短編小説

ハクモクレンの香り

春のうららかな陽気に、午後の教室で蓮は激しい睡魔に襲われていた。
こくりこくり・・・頬杖をついて居眠りを始めた蓮に、幸い田中先生はまだ気づいていない。
一番後ろの席に加え、すぐ前に座っている長谷川君が長身だったことが幸いしたようだ。
目を開けていることも困難になり、遂には机に突っ伏して寝入ってしまった。

どれくらいの時間が経っただろうか。
そよ風に乗った何とも言えない良い香りが漂って来て、夢うつつの蓮の鼻を優しく刺激した。
重たい瞼を必死に開き、起き上がって窓の外を見てみると、そこには大きな真っ白い花を大量に咲かせた大木の姿があった。
「あれ…この木って花なんか咲いていたっけ?」 そう思った蓮は、寝ぼけ眼をこすりながら思わず席を立った。
不思議なことに、田中先生は蓮の行動に気づかない。 おそらく大好きな芥川龍之介のことを、熱く語っているからだろう。

窓際から校庭を覗き込むと、やはりあの木だ。 それは六年生の蓮が、
一年生の時に花壇の水やりの当番になって以来、今もずっと水やりを続けている巨大な老木で、
確かハクモクレンという名前の木だった。
お昼休みには毎日水やりをしているし、確か今日の水やりも忘れなかったはずだが、
この木がこんなにたくさんの花をつけていることに全く気がつかなかった。
「一体いつ咲いたんだろう…」そう呟きながらふと見上げると、目の前の木の枝に小さな男の子が座っていた。

たくさんの花の間から顔を出し、ニコニコ微笑みながら蓮に手招きをしている。
その子が座っている細い木の枝は、その重みで今にも折れてしまいそうだ。
驚いた蓮は、大きな窓からベランダに飛び出た。
「そんなとこにいたら危ないよ!」 思わず叫んでしまったが、
振り返ると教室の誰もが田中先生の話に夢中で、蓮の声は彼らの耳には届いていないようだった。

再び老木に目を移すと、男の子は相変わらず笑顔で蓮に手招きをしている。
細い木の枝は、いよいよ大きくしなって、ミシミシと音を立て始めた。
下に駆け下りている時間はないし、このままでは男の子が地面に叩きつけられてしまう。
とっさに蓮はベランダに身を乗り出し、男の子に向かって必死で手を差し出した。
「僕の手につかまって!」 そう叫ぶ蓮を見つめる男の子の顔からは、
いつしか笑顔が消え必死の形相の蓮を不思議そうに見つめていた。

今や木の枝はメキメキと音を変え、根元から折れかかっていた。
蓮はベランダに上半身を乗り出して、出来る限り手を伸ばした。
「絶対に離さないから。僕を信じて!」 蓮のその言葉に、
男の子は決心したかのようにようやく立ち上がり、その小さな手を蓮に差し出してきた。
ギリギリのところで踏ん張り、限界まで上半身をベランダの外に出して手を伸ばす蓮。
よしいいぞ、もうちょっとだ…。 遂に向こう側の小さな手のひらに触れたと思った瞬間だった。
無表情だった男の子の顔に再び笑顔が戻り、老人のような低い声でこう言った。「僕を信じて…」
そして、男の子は蓮の手首を握って思いっ切り引っ張った。
その拍子にベランダから身を乗り出していた蓮の体は、地面へと真っ逆さまに落ちていった。
その時、「ありがとう」という声が聞こえた気がした。

落ちた瞬間は、不思議と恐怖は感じなかった。
ただ、「僕を信じて」と言った男の子の行動が信じられず、
薄れゆく意識の中で「どうして?」という疑問が蓮の頭の中をぐるぐると渦巻いていた。

どこからともなく漂ってきたあの良い香りで蓮は目を覚ました。
重いまぶたを開いてみると、見慣れない部屋のベッドに横たわっている。
ベッドの近くにはあの白い花が一輪生けられていた。

それから数日後、蓮は春休みの誰もいない校舎に来ていた。
目の前には、切り株だけになったあの老木の姿があった。

あれは夏休み前のある暑い日のこと。
蓮がお昼休みから教室に戻った時に、突然強い風が吹き込んで蓮の手からハンカチを奪い取った。
そのハンカチは運悪く開いていた窓から外に飛んで行き、さっき水やりを終えたばかりの老木の枝に引っかかってしまった。
手を思い切り伸ばせば届きそう。 そう思った蓮は、ベランダに出て身を乗り出した。 その直後に2階から落ちてしまったのだった。

意識が戻るまでの間、蓮の代わりに老木の水やりをしてくれたのはクラスメイトたちだった。
蓮が早く目を覚ますようにと願いを込めて、日替わりでみんな一生懸命に老木の世話をした。
だが、年が明けた頃から老木の葉は枯れ始め、どんどんと元気をなくしていった。
老木の状態の悪化に反して一つの枝が小さな蕾をつけたかと思うと、それは美しい真っ白な花を咲かせた。
樹齢はとうに80年を超えていたため、安全を考慮して根元から切られることになったのはそのすぐ後だった。

担任の田中先生は、せめて老木が最後に咲かせた花を、未だ眠り続ける蓮の元に持って行くことに決めた。
蓮が目を覚ましたのは、田中先生がその老木の花を病院に届けた日だった。

大きな切り株の前に佇み、蓮は夢の中に現れた男の子のことを思い出していた。
手が触れた時に聞こえた老人のような声。 そして大量に咲いていた白い大きな花。
この春から中学生になる蓮は、あの老木が最後の力を振り絞って自分を起こしてくれたんだと信じて止まなかった。

意識を失う前に聞こえた「ありがとう」という言葉を思い出していると、
どこからかハクモクレンの花の良い香りがした気がした。
「ありがとう…」 そう呟いて、蓮は校舎を後にした。





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by peko_tin | 2016-04-13 06:00 | 超短編小説

トヨコの貢献

月曜日の朝、スーパーのレジで働く信子は笑顔で職場に向かっていた。
週末はあんなに気持ちが塞ぎ込んで、まるでこの世の終わりのように感じていたのが嘘かのようだ。
それもこれも、あの女性客のおかげね。 くすっと笑いながら、信子はその足を速めた。


金曜日のお昼休みに娘の千代子の担当から電話があり、千代子がクラスメイトに怪我をさせたと告げられた時は茫然となった。 あの子に限ってそんなこと・・・。
いつものように忙しかったはずだが、その日の午後のことはあまり覚えていない。
帰宅してすぐに娘の千代子を問い詰めると、不機嫌そうな顔をして「そんなんじゃないもん」と答えた。
聞けば交換日記をしているほど仲の良い道江と些細なことで喧嘩になり、引っ張り合っていた交換日記が破れた瞬間に、道江が尻餅をついて泣き出したという。
いくら故意に怪我をさせたわけではなくても喧嘩はいけないこと。 だから明日道江ちゃんに謝るようにと諭す信子に、千代子は「私は悪くない」の一点張り。 ふくれっ面で自分の部屋に閉じこもってしまった。


その頃、道江は自分の部屋で思い悩んでいた。 千代子と喧嘩したのは、実は自分が悪かったと自覚しているからだ。 交換日記もしていて親友のはずの千代子が、隣のクラスの小春ちゃんと仲良くしているのに嫉妬して、つい日記に小春ちゃんの悪口を書いてしまった。
それを千代子に咎められた時に、怒って交換日記の奪い合いになった。 喧嘩の理由が理由だけに分が悪い道江は、交換日記が破れた瞬間に自分から尻餅をついたのだった。
騒ぎを聞きつけ駆けつけた先生を前に後に引けなくなった道江は、まるで千代子が突き飛ばしたかのように泣きじゃくった。
きっと千代子は怒って許してくれないだろう。 来週は、遠足用のお菓子を一緒に買いに行こうと約束していたのに・・・。
その時、道江は千代子のお母さんがスーパーで働いていたのを思い出した。
笑顔の優しいあのお母さんに、話を聞いてもらえれば正直に千代子に謝れる気がした。
翌朝、道江は小さな財布を握って家を出た。


スーパーのレジは朝から混んでいた。 前日のことが気になりつつも、信子は迅速に淡々と自分の仕事をこなし続けた。
70代と40代の親子と思われる二人組の客の商品を計算している時、ふとその二人組の後ろに見覚えのある女の子が並んでいるのが見えた。 道江ちゃんだった。
娘が怪我をさせてしまったお友達に、なんと声をかけてやればいいのか分からずに、信子は正確にレジを打ちながら激しく動揺していた。
それは、二人組の買い物かごにあった最後の商品を手に取った時だった。 70代の母親と思われる女性客の目が虚ろになり、頭が小刻みに揺れ始めたかと思った次の瞬間・・・。
「ふぇ~~~~っくしょん!!!!」 女性客の口から、まるで地響きのような豪快なくしゃみが出た。 その衝撃と驚きで、自分も、女性客の40代の娘も、そして道江ちゃんまでもが小さく飛び上がった。
その光景は、まるでテレビでよく見るバラエティ番組のようで、信子はこみ上げてくる笑いを抑えるので必死だった。
鼻を拭いている70代の女性客の横で、「驚かせてすみません」と苦笑いの娘に愛想笑いを返した後は、努めて平常心を装った。
二人組が去り、信子の前に道江が立ったと同時に、二人は顔を見合わせて心の底から大笑いした。
道江ちゃんの後ろに誰も並んでいなくてよかった・・・。 笑い過ぎて出てきた涙を拭きながら、信子は優しい笑顔を道江に向けて言った。 「いらっしゃい、道江ちゃん」


スーパーを出たトヨコは、自分の行いがまさか人の役に立ったとは露とも知らず、流れ出る鼻水を懸命にかんでいた。 「母ちゃんのくしゃみすごいね。 レジのお姉さんも後ろの女の子も、ビックリしてちょっとジャンプしていたよ」とからかう娘の言葉を無視しながら、「早く暖かくならないかねぇ」と愚痴りながら車へと向かった。





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by peko_tin | 2016-01-30 07:00 | 超短編小説